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The long...

レイモンド・チャンドラーの小説に、さよならを言うことは少しの間死ぬことだ(To say goodbye is to die a little. 清水俊二訳)、というフレーズがあって、昔から名言ということになってるんですが、何度読み返してもいまいちわかりにくい。同じフレーズを清水訳の何十年もあとに村上春樹は「少しだけ死ぬことだ」と訳しています。清水訳でのa littleが時間にかかっているのに対し、村上訳は量的な死を対象にしているように感じる。親しみやすいのは村上訳だけど、でも本当にそうなのか、と。



フランスのことわざに「去ることは少し死ぬこと(Partir, c’est mourir un peu)」というのがあって、さらに「去りゆくことは死にゆくことにも似たり」という解釈を経て、日本語のことわざの「去るものは日々に疎し」に近づいていく。チャンドラーがフランス語に造詣が深かったことを踏まえれば当然このことわざはベースにあったわけで、そういう文脈で解釈すれば、(愛する人との)さよならは死ぬことと同じくらい辛いけど、どれほど辛いことでも時間が忘れさせてくれる。まぁほんのちょっとの間死ぬようなものさ、みたいな意味になっていくんではないかなと。ええ、素人の想像ですが。

清水俊二という人は映画の字幕を書いていただけあって、ハードボイルド然とした言い回しがうまい。主役はギャングや娼婦だから言葉遣いも粗目だけど、村上春樹はただそれを現代風に上品に言い換えただけで、その分文体もぬるい。あとハードボイルドの魅力は、普段強面の登場人物がふと見せる優しさがキュートなんだけど、元々強面感がぬるいから、キュートさも伝わってこない。清水訳の「このスットコドッコイが」とか「おととい来やがれ」とかをいま読むと引くけど、そこは脳内で「このイカサマ野郎」とか「お前の出る幕じゃない」とか勝手に変換すればいいだけだから大したことじゃない。それより問題は村上訳に「悪」の持つ悲しみに寄り添えない作家であるという限界が露呈していることであって、そのあたりが例年ビッグプライズに蹴られ続けている一因ではないかと勝手に思ったりして。してみたりして。でもね、さよなら、とかもう最近は滅多に誰も口にしないし、書いたりもしない。じゃあねとか、またねとかみんな言うけど、男と女のさよならは、本当に深い。心って、離れたらもう二度と戻ることはない。だからさよならを言うときはいつも、少しだけ死んでしまう。



by melody63 | 2018-02-06 03:11 | Diary

Isn't It Romantic?


by melody63