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真昼の月 reprise

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その水色のステーションワゴンが当時のあなたの財産のすべてだった。ワゴンじゃなくてゴルフだったかもしれない。とにかくあなたには持ち物がそれしかなかった。ところどころ赤くさびていて、乗り心地も悪く、サイドミラーも片方しかついていなかった。それでもその車が私の前にやってきて止まり、ドアを開いて中に乗りこみ、タバコ臭いシートに身体を押し付けると、なぜか妙に安心できた。安心が押し寄せてきて私はまるで液体のようにシートに深くしみ込んでいく。そしてその日もルームミラーのなかのあなたと目が合ったけど、あなたが目をそらしたので、ああ今日でわたしたちはおしまいなんだと私は気づく。



ずっとサーフィンをして暮らせたらな、とあなたは言っていた。でも本当はそんなこと思ってなかったでしょ?ただカッコつけてみただけ。そんな風に生きていけるほどあなたは強くないもの。わたしたちは何もわからないまま、ただ生きていくのが精一杯で、たまの休みにはわたしを誘って由比ケ浜の市営駐車場に車を停めて、長い間海を眺めて過ごしたものだ。自分のペースで生きる、みたいな。そんなことできるはずないじゃない。シフトレバーを握るあなたの手がわたしの膝にあたる。その指の感触が、なんかもう全然ぎこちなくて笑える。あんなにたくさんわたしの中のいろんなところを触ったりしたのにね。いまはまるで木星と地球との遠距離恋愛くらいに距離が感じられ、わたしの着ているオレンジ色のアナスイのワンピースでは少し肌寒い。

日が暮れて、江ノ島の灯台に明かりが入って、134号線を西へ向かって車を走らせながら、ラジオから流れるホフディランの歌に合わせてあなたが口笛を吹く。小坪トンネルを抜けて目の前に突然現れたシェルの看板の正体は月でした。海に浮かぶ満月のせいで江ノ島の向こうまで真昼のように明るい。若いのに懐かしすぎる私たちの恋がもうすぐ終わる。それにしても今夜の月はなんてきれいなんだろう。あなたの名前なんかすぐに忘れても、この夜見た月のことはきっと一生忘れないと思ってたらその通りになった。

END

by melody63 | 2013-06-01 00:24 | Fiction

Isn't It Romantic?


by melody63